2012年3月 宮城2日目
この日は震災の影響が大きかった漁港の町、石巻に向かいます。帰りは松島に寄り、また仙台に泊まる予定です。
仙石線で石巻へ
前日は山の方面に向かったので、さほど震災の影響を感じることはありませんでした。しかし仙石線に乗り、すぐに被害の大きさを知ることになりました。
仙台駅を出て2~3駅ほど進むと、まだ線路が復旧されておらず、その先は運行停止になっていました。しかし、代理バスが出ていましたので、バスに乗り換えて進みます。
石巻に到着
バスに一時間ほど揺られ、石巻駅に到着です。
指、、、サイボーグ009の像があります。石ノ森章太郎のゆかりの地のようです。他にも私が知っているところでは、仮面ライダーとかの銅像がありました。石ノ森萬賀館なるものもあり、なかなかエキセントリックな形をしていてぜひ入ってみたかったのですが、この時はまだ被害が大きく、臨時休館となっていました。この日まで、残念ながらまだ行く機会がありません。
駅の周りは店も普通に営業しており、復旧は進んでいる印象を受けました。しかし少し歩くと、建物の壁のシミ等からここまで津波が来たことが伺われ、恐ろしい気分にもなりました。
ここから、徒歩で漁港のほうに歩いていきます。本来ならばバスで移動すると思いますが、この時はまだ運行していませんでした。ここから先は、甚大な被害を受けたところです。既に、あちこちに津波の形跡が見られ、先に進むのに躊躇しました。今でも、これが正しい行為だったかは分りませんが、、、当時の私は進むと決めたのでした。
少し歩くと、大きな川がありました。ガードが歪んでいたりしますが、車道や歩道は綺麗になっており、復興に向けて動き出していることが感じられますが、この橋を渡ったあたりから、雰囲気が大きく変わってきます。
まだそのままになっている瓦礫です。このあたりは、もう人はほとんど歩いておらず、時折軽トラックが走る程度です。裏側に見える建物が、石ノ森萬賀館です。
校庭に船が、、、このままになっていることに、当時はショックを受けました。今思えば、1年という期間は、あれだけの被害から復旧するにはあまりにも短すぎたのだと感じます。
瓦礫の山が、いたるところに積み上げられています。かなりの高さです。
しばらく歩くと、大きな缶詰のオブジェが道路に横たわっていました。どこかの工場においてあった、宣伝用の缶詰でしょうか。。。壊れた道路と、晴天の下に横たわる巨大な人工物が、どこか破壊とか壊滅とかそういうものを連想させ、気分が悪くなってきてしまいました。結局漁港まで辿りつけず、折り返すことになります。
※そんな私のネガティブな感情とは裏腹に、この時点でこの缶詰の工場は既に稼働再開していたようです。
日本三景の一、松島へ。
歩いて石巻に戻り、代行バスで松島に向かいます。松島海岸駅のあたりで降りました。少し歩くと、見えてきました。
広島の宮島、京都の天橋立と並び、日本三景に数えられる松島です。 「松島や、ああ松島や、松島や」は芭蕉の句だと思っていましたが、違うようです。「島々や、千々に砕けて夏の海」が実際の句ようです。「島がたくさん海に浮かんでいるな~」という意味でしょうか。俳聖の読む句としては、割とそのまんまですね。
観光客はほとんどいませんが、出店も少ないながらも出店されていました。生ガキを食べた記憶があります。こうしてみると、やはり綺麗ですね。
そして宿へ
仙台まで戻り、チェックインします。今回も同じ料金で広い部屋に入れてもらえました。 歩いて疲れたのか、震災の爪痕や松島の絶景、色々なものを見たせいか、とても疲れました。複雑な感情を抱きつつ、眠ります。